一度はゲームセットした夢へ。日本人アンパイア、ベースボールの母国で裁く。

第3回 平林岳さん 野球審判員

2009年2月2日

インタビュアー 丸山貴宏

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平林岳さん
  • PROFILE
    平林岳(ひらばやし・たけし)
  • 1966年兵庫県生まれ、野球審判員。中学生時代からプロの審判を目指し、國學院大学卒業後、日本のプロ野球、セ・パ両リーグの審判テストを受けるも、身体検査で裸眼視力が規定に満たずに不採用になる。
  • 1992年、渡米してジム・エバンス審判学校に入学し、日本人初のアメリカプロ野球審判となる。
  • 1993年、パ・リーグからスカウトされ、東京審判部に入局。1999年4月7日には、松坂大輔投手(現ボストン・レッドソックス)のプロデビュー戦の球審を務めるなどした。
  • 2002年を最後に退局し、渡米してジム・エバンス審判学校に再入学。2005年、マイナーリーグで米国球界復帰を果たす。
  • 2007年、ミッドウェストリーグ(ミドルAクラス)のオールスターゲームでも球審を務める。同年7月、アドバンスドAクラスへの昇格を果たし、カリフォルニアリーグの審判となる。
  • 2008年、サザンリーグ(ダブルAクラス)に所属し、シーズン終盤にはチーフクルーとして数試合を担当。
  • 2009年は、日本人初となるトリプルAクラスへの昇格が見込まれている。その場合、日本人審判として初めて、臨時的にメジャーリーグのグラウンドに立つ可能性がある。
  • 現在はアメリカでメジャーリーグの審判を目指す傍ら、日本のFMラジオ局・NACK5でゲスト解説なども行っている。
Next update 平林岳氏
日本で閉ざされた扉を、アメリカで開く。

2009/1/19

スカウトされて「逆輸入」で日本へ。

2009/1/26

忘られぬ夢を追って、ゼロからの再出発。

2009/2/2

見えてきた、メジャーという頂きを目指して。

2009/2/9

忘られぬ夢を追って、ゼロからの再出発。

日本のパ・リーグ審判部を退職した平林さんは、渡米して審判学校から再出発を始めた。学校はアメリカ人の生徒ばかりで、しかもほとんどが20代前半の若者。日本からやってきた、すでに30代後半の「オジサン」は、周囲の眼にはどう映っただろうか。平林さんは、夢に向かって突き進んだ。2005年、審判学校卒業後にアメリカ球界復帰を果たすと、2008年にはダブルAクラスのリーグでチーフクルーを務めるまでになった。そんな彼を支えていたのは、学生時代からのハングリー精神と、自分の可能性に対する信念であった──。

「夢を語ったとき、誰も信じてはくれなかった。でも、自分さえ信じていれば、不思議と、少しずつ門は開かれてゆくもの」

丸山:
再び審判学校から入学しなおしての、ゼロからの再出発。すでに30代後半でしたし、若きアメリカ人達と競っての挑戦に、躊躇いはありませんでしたか?
平林:
ライバルはアメリカ人の20代。でも、それをきついと思わずに、よし、おまえたちと勝負してやると思っていました。年齢では負けても、体力でも、気力でも、負けると思ったことはないですから。いまの若い子は、日本もアメリカも同じで、贅沢に育っている場合が多い。だからたいしたことはないです(笑)。僕は両親が金持ちではなかったですし、大学は新聞配達をしながら自分で学費を稼いで卒業しました。みんなが親に仕送りしてもらってサークルに入って遊んでいるときも、僕はバイトをしなければなりませんでした。でもいまとなっては、それがバネになっています。
丸山:
またもマイナーの底辺から登りはじめなければならない長い坂路の途中では、先が見えない不安感もあることと思います。どのようなことを考えて、日々の試合に臨んできたのでしょうか。
平林:
パ・リーグを辞めた後の2年間、僕は「浪人」していました。30歳を過ぎてからの2年間ですから、そのブランクは大きい。当時はそれをマイナスに感じていました。それでも、この2年にも価値があると、勝手に思いこむことにしたんです。「勝手に思いこむ」ということが、僕は大事だと思っています。自分がやっていることは、後々かならずなにかに活かされるんだと。たとえば浪人中の2年間があったから、いま、タイミングよくトリプルAまで昇格できたんだとか、都合良く捉えてしまうんです。また、「勝手に思いこむ」といえば、自分がメジャーリーグの試合の球審を務めている姿を想像することで、自分自身を鼓舞したりもしています。さいわい審判という職業は、マイナーもメジャーも、やっていることはそれほど違いがないので想像しやすい。目標を強くイメージすることが、僕のパワーの源という気がします。
丸山:
第三者から無謀と思われた平林さんの挑戦には、審判をやりたいからという「純真」が、強烈に後押ししているように見えます。しかしいまの30代、40代の多くには、ともすると無我夢中になって挑める「なにか」を、見つけられないでいるような気もします。
平林:
メジャーの審判までたどりつけるのは、審判学校を卒業した生徒の、ほんの数パーセントに過ぎません。メジャーのレギュラー審判は68人しかいないので、それこそ、選手としてメジャーリーガーになること以上の狭き門かもしれません。人にその夢を語ったとき、誰も信じてくれませんでした。もしかしたら嫁さんでさえ、「大丈夫なの?」と不安だったかもしれません。でも、自分だけは、かならずチャンスはあると信じきっていました。自分さえ信じていれば、不思議と、少しずつ門は開かれていくものだと思っています。

<来週につづく>

構成/平山譲

NEXT 2月9日(月)
「見えてきた、メジャーという頂きを目指して。 」

見えてきた、メジャーという頂きを目指して。
中学生から一つの夢を追い続け、
実現するも、また新たな夢を追いかけてきた。
そんな夢追人が語る、現在、そして未来。
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