連続する苦悩のなかで掴んだ、輝かしい栄光をもかなぐりすて、挑みつづける、野球道の極みへ。

第5回 プロ野球球団代表 米田純さん

2009年4月13日

インタビュアー 丸山貴宏

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米田純さん
  • PROFILE
    米田純(よねだ・じゅん)
  • 1963年 神奈川生まれ 小学校3年生より野球を始める
  • 1979年 神奈川県立平塚江南高校に入学 軟式野球部で関東大会ベスト4入り
  • 1982年 早稲田大学教育学部教育学科体育学専修に入学 体育会準硬式野球部に所属
    東京六大学リーグ戦優勝3回、全日本選手権優勝1回
  • 1986年 株式会社西武百貨店に入社 池袋西武紳士服売場に配属
  • 1990年 池袋西武営業企画部に異動。各種プロモーションをプロデユース。
  • 1994年 本社店舗運営部営業分析課に異動。全32店舗の営業数値分析業務を遂行する。
  • 1998年 つくば西武販売促進課長として赴任。地方の標準店舗の経営に携わる。
  • 2002年 本社営業企画部に異動。
  • 2003年 楽天株式会社に転職。部長として既存顧客マーケティング部署の立ち上げに携わる。
    「楽天ポイント倶楽部」「ポンカンキャンペーン」などポイントを活用した営業プログラムや仕組みを構築。
  • 2004年 9月より「楽天野球団準備室」と兼任。50年ぶりのプロ野球新規参入手作業に携わる。
    11月に新規参入決定後、取締役チーム統括本部長兼球団代表に任命される。
Next update 米田純氏
「悔いの残る野球人生」からの出発。

2009/3/30

未来を大きく変える転職への勇断。

2009/4/6

球団代表としての苦悩と歓喜。

2009/4/13

個人の目標から、夢の共有へ。

2009/4/20

球団代表としての苦悩と歓喜。

楽天のプロ野球への新規参入にあたり、その球団代表として白羽の矢が立った米田さん。「野球を職業に」と長年抱き続けてきた密かなる夢が実現した瞬間だった。しかし、それは同時に、連続して訪れる苦労の始まりでもあった。まったくのゼロから、約半年間で開幕を迎えるという時間的制約のなかで、連日徹夜でチーム作りに邁進。激務に追われる米田さんを支えたのは、「50年ぶりに新しい球団を作る」という、もしくは、「自分がやらずに誰がやる」という、責任感と使命感であった──。

「大変だな、というよりも、楽しいな、という気持ち。いま、本当に、やりたい仕事ができているという充実感でした」

丸山:
新球団設立にあたっては、これまで経験してこられた苦労とはまた別種の、途轍もない大変さに直面されたのではないでしょうか。
米田:
ゼロからのスタートでしたし、球場を綺麗に整備し、スタッフを組織して、監督や選手を集めてと、やらなければならないことが多すぎました。しかも半年という時間的期限がある。雪が降って球場の工事が間に合わないんじゃないかとか、開幕までにいろんな環境を整えられるのかとか、不安はたくさんありました。しかし期限が決まっている仕事なので、まずは、先に結果をイメージし、そこに向かって仕事を進めていったという感じです。監督から、選手のことを知らないから秋季キャンプをやりたいといわれたときには、グラウンドも、ユニフォームもなく、スタッフもいないなか、どうすればいいのかと途方に暮れました。まず当時の近鉄の管理部長に頭を下げて藤井寺球場を無料で貸していただき、白いユニフォームで揃え、そして慶応大学の学生にアルバイトを頼んでTシャツを着せてヘルメットを被らせて球拾いをさせました。僕も、マスコミ対応や、スタッフの面接や、不動産の説明会などをこなしながらも、球拾いをしましたよ(笑)。
丸山:
野球をお仕事にすることができたわけですが、実際、お仕事となると、人には見えないご苦労も多いでしょうね。
米田:
たとえば西武百貨店時代は、企画書が一行も書けなかったなんてことは公にならないじゃないですか。それが球団代表という立場だと、仕事ぶりが新聞で公表されてしまう。しかし、そうしたことをプレッシャーに感じてしまうのではなく、「50年ぶりの新球団を作るんだ」「自分がやらずに誰がやるんだ」という責任感や使命感で仕事を進めていきました。僕だけでなく、あのときのスタッフのみんなの心の中には、そうした気概のようなものがあったと思います。プロ野球への参入申込書を書き上げたときは、1週間、連日2、3時間の睡眠しかとれませんでした。しかしそのとき感じたのは、大変だなというよりも、楽しいなという気持ち。いま、ほんとうに、やりたい仕事をできているんだという充実感でした。
丸山:
苦労も大きかったぶん、無事開幕を迎えるところまでこぎつけたときには、歓びもひとしおだったのではないでしょうか。
米田:
春季キャンプに臨む直前に、仙台でイベントをしたんです。選手、監督、コーチ、スタッフ、初めて全員が揃いました。これが東北楽天ゴールデンイーグルスですという、お披露目ですね。そこまでは、僕も全力で突っ走ってきて、感慨にふける暇などなかったですが、さすがにそのイベントでは、こみあげてくるものがあり、舞台の袖で泣いていました。嬉しいというより、ほっとしたという安堵感かもしれません。でも、それも束の間、シーズンが始まると、2戦目には0対26という屈辱的なスコアで負けたことがあって、そうなると悔しくてね。元来、負けず嫌いなものですから(笑)。プロ野球の世界は、すべての仕事がチームの勝敗という結果で表されてしまうという厳しさがあります。今年は、クライマックスシリーズへ出場するため、目標を75勝に定めました。すると三木谷会長が、「80勝だろ」って(笑)。

<来週につづく>

構成/平山譲

NEXT 4月20日(月)
個人の目標から、夢の共有へ。

球団代表としての苦悩と歓喜。
転職を機にやりたい仕事にたどりつき、
そして成功を勝ち取った米田さんからの
転職を考えている30代、40代の方々へのメッセージ。
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